オイル・ショックとは [石油・経済・株式]
石油ショック、石油危機などともいう。1973年(昭和48)10月に勃発(ぼっぱつ)した第四次中東戦争においてアラブの石油産出諸国がとった石油戦略による世界経済の一大変動のこと。
第四次中東戦争が始まると、アラブ石油輸出国機構(OAPEC(オアペック))と石油輸出国機構(OPEC(オペック))は原油生産削減とアメリカ、オランダ向け輸出の禁止、さらに輸出価格の4倍化を断行した。
これにより原油価格のみならず石油製品価格も暴騰し、石油市場が混乱した。
第二次世界大戦後の西側経済は低価格の石油を大量に消費する「資源浪費型経済」をとってきたので、こうしたアラブの石油戦略はその土台を揺るがすものであり、とくに石油の大半を輸入に頼ってきた日本において、その影響は重大であった。
同年11月政府は一般企業への石油、電力20%削減と民間の資源節約を要請し、国民に対しては「節約は美徳」を提言した。
このなかで一部企業は、原材料の買い占め、売り惜しみ、便乗値上げを行い、なかには「千載一遇の好機」として、意図的に「物不足」を宣伝するものも現れた。
このため国民の間にパニックを引き起こし、紙、洗剤、砂糖などの買いだめ騒ぎが起こり、国民は「狂乱物価」に苦しんだ。
オイル・ショックの影響は、単に経済面だけにとどまらず、従来イスラエル支持政策をとってきた政府は、急遽(きゅうきょ)、原油確保のために親アラブ的な中東政策へ転換した。
しかしこの時期、原油供給量が大幅に落ち込んだわけではなかった。
国際石油資本(メジャー)は独自のルートで原油を確保し各国に供給する一方、供給価格を大幅に引き上げて法外な利潤を獲得し、さらに原油価格の上昇を製品価格に転嫁し、ここでも法外な利潤を獲得したのであった。
つまりこの時期に盛んに宣伝された「エネルギー危機」も、短期的にみれば、またつくられたものであった。
しかし長期的にみれば、石油の乱掘、浪費が真の「エネルギー危機」をもたらすことは明らかであり、とくに日本のような、「エネルギー革命」の名の下に石炭産業を破壊してきた政策こそ、真の「エネルギー危機」を招くものである。
第四次中東戦争が始まると、アラブ石油輸出国機構(OAPEC(オアペック))と石油輸出国機構(OPEC(オペック))は原油生産削減とアメリカ、オランダ向け輸出の禁止、さらに輸出価格の4倍化を断行した。
これにより原油価格のみならず石油製品価格も暴騰し、石油市場が混乱した。
第二次世界大戦後の西側経済は低価格の石油を大量に消費する「資源浪費型経済」をとってきたので、こうしたアラブの石油戦略はその土台を揺るがすものであり、とくに石油の大半を輸入に頼ってきた日本において、その影響は重大であった。
同年11月政府は一般企業への石油、電力20%削減と民間の資源節約を要請し、国民に対しては「節約は美徳」を提言した。
このなかで一部企業は、原材料の買い占め、売り惜しみ、便乗値上げを行い、なかには「千載一遇の好機」として、意図的に「物不足」を宣伝するものも現れた。
このため国民の間にパニックを引き起こし、紙、洗剤、砂糖などの買いだめ騒ぎが起こり、国民は「狂乱物価」に苦しんだ。
オイル・ショックの影響は、単に経済面だけにとどまらず、従来イスラエル支持政策をとってきた政府は、急遽(きゅうきょ)、原油確保のために親アラブ的な中東政策へ転換した。
しかしこの時期、原油供給量が大幅に落ち込んだわけではなかった。
国際石油資本(メジャー)は独自のルートで原油を確保し各国に供給する一方、供給価格を大幅に引き上げて法外な利潤を獲得し、さらに原油価格の上昇を製品価格に転嫁し、ここでも法外な利潤を獲得したのであった。
つまりこの時期に盛んに宣伝された「エネルギー危機」も、短期的にみれば、またつくられたものであった。
しかし長期的にみれば、石油の乱掘、浪費が真の「エネルギー危機」をもたらすことは明らかであり、とくに日本のような、「エネルギー革命」の名の下に石炭産業を破壊してきた政策こそ、真の「エネルギー危機」を招くものである。
update:2009年08月21日
